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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Sam Mangwana, vocal(1972-75)
Ntesa Nzitani 'Dalienst', vocal(1976-89)
Camille Lokombe Nkalulu, vocal(1980-)
'Michelino' Mavatiku Visi, guitar(1975-78)
'Dizzy' Mandjeku Lengo, guitar(1982-)


Artist

FESTIVAL DES MAQUISARDS

Title

ZELA NGAI NASALA


festival
Japanese Title

国内未発売

Date 1968 / 1969
Label AFRICAN/SONODISC CD 00036573(FR)
CD Release 1997
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 フェスティヴァル・デ・マキザール Festival des Maquisards は、ロシュローのアフリカン・フィエスタ・ナショナル(別名“人民”(Peuple))を辞めた若手ミュージシャンたちが中心になって68年に結成されたグループ。
 サム・マングワナ Sam Mangwana Mayimona(vo)、ガヴァノ Jean Paul 'Guavano' Vangu(g)、ミシェリーノ Michel 'Michelino' Mavatiku Visi(g)、ジョニー・ボカサ John 'Johnny' Bokasa(g)、ジャン・トロンペット Jean Pierre 'Jean Trompette' Nzenze(tp)がフィエスタ・ナショナル出身者で、マングワナが一時期在籍していたヴォックス・アフリカからもンテサ・ダリエンスト Ntesa Nzitani Daniel 'Dalienst'(vo)をはじめ数名が参加した。そのほか、アフリカン・ジャズのオリジナル・メンバーだったコンガ奏者ドゥピュイサン Antoine 'Depuissant' Kaya もメンバーに加わった。

 ほどなく、ギターにディジー・マンジェク 'Dizzy' Mandjeku Lengo、歌手にカミーユ・ロコンベ Camille Lokombe Nkalulu、ミス・ボラ 'MIss Bora' Henriette Bora Uzima Kote、ディアナ・ンシンバ Simon 'Diana' Nsimbaの3人を新メンバーに迎え、さらなるパワーアップをはかった。

 “マキザール”とは、第2次大戦中、ナチス・ドイツの支配に抵抗したフランスの地下運動組織“マキ”(maquis) に参加したひとたちのこと。つまり、グループ名はロシュローやフランコのような年長世代、エスタブリッシュメントへの反抗を意味していた。
 コンゴのオルケストルは、部族社会の名残からリーダーが絶対的な権力を握っていた。そのため、ときにボスがギャラを独り占めし、このことがもとでグループが分裂してしまうこともしばしば。だから、“マキザール”を自認するかれらはあえてボスを設けず、なにごともメンバー間の合議による決定を旨とした。

 しかし、多くのカウンター・カルチャー・ムーヴメントがそうであったように、高く掲げた理想は一瞬の打ち上げ花火に終わった。結成の翌年に早くもマングワナとダリエンストの対立が表面化したのである。マングワナはダリエンストにバンドを出ていくよう迫った。これにたいし「おまえこそ出て行け」と応酬するダリエンスト。結局、その年のなかば、サウンドのカナメだったマングワナとガヴァノのふたりがバンドを去る。もうひとりのキーマンだったミシェリーノもこれにならった。

 こうして残ったメンバー、ダリエンスト、マンジェク、ロコンベ、ディアナを中心に再編されたのがレ・グラン・マキザール Les Grands Maquisards である。中心人物が3人ともいなくなったのだから当然、サウンドも大きく変わった。このバンドについてはダリエンストの項でくわしく論じているので、これ以上はふれない。

 さて、フェスティヴァル・デ・マキザール(以下マキザール)である。わずか2年にみたない活動期間でかれらが残した音源は、まとまったものとしては、知るかぎり2枚のCDがリリースされている。1枚はンゴヤルトからマングワナの名義で発売されたSAM MANGWANA & L'ORCHESTRE FESTIVAL DES MAQUISARDS 1968/1969(NGOYARTO NGO70)。もう1枚が、ソノディスクから97年に発売された本盤である。

 シングルのAB面にまたがる8分45秒におよぶミシェリーノの力作'YAMBI CHERIE'(ンゴヤルト盤収録)を除けば、両盤とも4、5分台のナンバーでしめられる。全体の半分以上がマングワナの作詞作曲。これに次ぐのがミシェリーノ、ガヴァノの作品。レ・グラン・マキザールでは大半の曲を書いていたダリエンストは、ロコンベとおなじく各1曲収録されているに過ぎない。
 これらのことからわかるように、マキザールは平等主義を標榜しながら実質的にはマングワナ、ガヴァノ、ミシェリーノのバンドだった。

 典型的なのがアルバム・タイトルにもなっているマキザールの代表作'ZELA NGAI NASALA'
 「いい暮らしをするために一生懸命働きなさい」と妻からけしかけられる夫の悲哀を描いたこの自作曲をマングワナは終始ソロで歌う。かれのハスキーで哀感あふれる声がこのテーマ、このメロディにぴったりはまっていて、マングワナ本人にとっても忘れられない作品となった。
 コンガ、マラカス、クラベスが刻む優雅なリズムにのせて奏でられるガヴァノとミシェリーノの温厚で仲睦まじいギター・アンサンブルが異常に心地よい。しかし、この名演にダリエンストが参加している形跡はまったくない。

 なお、ンゴヤルト盤には同曲の別テイクとデモ・ヴァージョンを収録。また、マングワナが78年にアビジャンでディジー・マンジェク、ロカッサ・ヤ・ムボンゴらと再会し結成したアフリカン・オール・スターズでもこの曲をリメイクしている(SAM MANGWANA "GEORGETTE ECKINS" (SONODISC CDS 7002) 収録)。しかし、いずれもこのオリジナル・ヴァージョンをこえることはなかった。

 'ZELA NGAI NASALA'に象徴されるように、マキザールのサウンドは総じて優雅でペーソスあふれるルンバ・コンゴレーズである。ロックやR&Bの要素よりも、ラテン・アメリカ系音楽、文字どおり“ルンバ”の香りを色濃くとどめている。これはかれらが、“反逆者”どころか、グラン・カレのアフリカン・ジャズにはじまりロシュローのアフリカン・フィエスタ・ナショナルに連なる系譜の正統な継承者であったことをしめしている。

 また、ガヴァノの、ときにハワイアンを思わせる甘美なリード・ギターと、ミシェリーノの、ジャズ・ギターのようなソリッドなリズム・ギターとが織りなすタペストリーは、ドクトゥール・ニコとその兄ドゥショーが編み出したギター・スタイルのミミックだし、マングワナにしたところで、根底には以前のボス、ロシュローのヴォーカル・スタイルがある。では、なにがマキザールをマキザールたらしめているのか。

 答えはマングワナの声の質にあると思う。
 ロシュローは、どちらかというと女性的な繊細さや柔らかさを特徴としていた。これにたいし、マングワナの声には男性的でほろ苦い哀愁があった。そのせいだろうか、本盤収録のミシェリーノが書いたスロールンバの傑作'EGALE M.T.' には、トリオ・マタモロスのようなキューバ的センティメントがつよく感じられるのだ。ロシュローの歌にこの感覚はない。

 この思いをさらにつよくしたのは、ンゴヤルト盤収録のマングワナの作品'BILINGA LINGA' を聴いたとき。メロディがキューバ音楽の大スタンダード「南京豆売り」'EL MANISERO' の完璧なパクリであることとは別に、マングワナの、ノスタルジーを強烈にかき立てる歌そのものに、ドン・アスピアス楽団「南京豆売り」でのアントニオ・マチーンへのつよいリスペクトが感じられた。
 
 フランスのシャンソン歌手ティノ・ロッシをまねたというグラン・カレの流れを汲むルンバ・コンゴレーズの歌手たちの多くは、だからむしろ30年代のヨーロッパで一世を風靡したレクォーナ・キューバン・ボーイズの優雅に洗練されたスタイルに近い感じがする。本盤でいえば、自作曲'MWANA IRENE' を歌ったロコンベがまさにそれ。NY中心のドン・アスピアス楽団とパリ中心のレクォーナ・キューバン・ボーイズのスタイルのちがいが、時とところを変えてマングワナとロシュローのちがいに反映されていると考えるのはうがった見方だろうか。

 ところで、ルンバ・コンゴレーズには、ルンバ(レクォーナ・キューバン・ボーイズやドン・アスピアス楽団が30年代に世界中に広めた、ソンをわかりやすく一般化したスタイルとしての“ルンバ”)の要素以外にも、ソン・モントゥーノ、グァラーチャ、グァグァンコー、グァヒーラといった(マンボを除く)キューバ音楽のさまざまな要素が混ざっている。そんななか、ルンバとならんで人気があったのがチャチャチャであった。

 チャチャチャは、50年代にオルケスタ・アラゴーンらによって大流行したダンソーンの変型スタイル。シンプルで簡潔なリズム、コーラスで歌われる短く親しみやすいリフレインが、独立気運に盛り上がる60年前後のアフリカ諸国の楽観ムードにぴったりフィットしていた。アフリカン・ジャズが60年に発表した「独立チャチャ」'INDEPENDANCE CHA CHA' はその代表作といえるだろう。

 しかし、その後の国内情勢の悪化に比例するかのように、チャチャチャのブームは急速にしぼんでいった。ひとりグラン・カレのみ、あい変わらずそんな音楽をやっていたが、かつての人気がうそのように完全に精彩を失い、いまでは拠点をほとんどパリへ移している状態。そういう意味では、マングワナが書いた'FESTIOAL BILOMBE' は、チャチャチャに真正面から取り組んだほとんど最後のケースだったといえるかもしれない。

 ちょっと不良ぽいマングワナと上品でお行儀のよいチャチャチャのとり合わせはちょっと意外な感じがするが、これが思いのほかよい。お約束のコーラスも健康的でハッピーだし、はじけるようなパーカッションも、抜けのいいソプラノ・サックスとトランペットのユニゾンも、メロウなギター・ソロも底抜けに陽気で、グループ名の“フェスティヴァル”にふさわしい内容になっている。

 さらにもう1曲というなら'MISSOLINA' を特筆したい。いかにもロシュローが歌いそうなこのとろけるように甘いボレーロで、マングワナはミソリーナへの愛を切々と訴える自分への愛に酔っている。やはりボレーロはナルシストでないと歌えない。
 
 これらのほかにも、マングワナの'TINO''KESTER YEBISA NGAI'、ミシェリーノの'NGANDA RENKIN'、ガヴァノの'HERIE OICKY'、トロンペットの'KUMBELE RUMBA LA FRONTIERE'、ダリエンストの'BONGOLA NGAI MOTEMA' など、心が洗われるような美しい名唱名演が目白押しの全14曲。マングワナのソロ・プロジェクトをあまり高く買ってないわたしではあるが、本盤については、ロシュローとアフリカン・フィエスタ・ナショナルの"1966/1969"(SONODISC CD 36525)に匹敵する傑作だと思う。


(5.25.04)



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by Tatsushi Tsukahara